2011年9月5日月曜日

ヘルスケアビジネスの難しさ

ヘルスケアでのビジネスアイデアを色々と考える中で、ヘルスケア系のビジネスが想定通りに立ち上がらない2つの理由に気がついた。いや、気づいたというほど大した話ではないのだけど、注意してもし過ぎることはない話かなとは思っている。


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1つ目は、「正論」は届かないということ。もっと言っちゃうと、「多くの人は健康になりたいなんて本気で思っていない」ということ。

健康は多くの人にとって「今、そこにある危機」ではない。治療が必要なほどの症状が出てしまったら別だけど、大体においては倒れるまでは何もしない人が多い。

そもそも、健康は突然失うようなものではなく、そこまでの生活習慣の積み重ねが主要因であることが多い。栄養や運動に気を使えば病気になりにくくなるなんて誰もがわかっているけれど、わかっていても特に症状がないから何もしない人が病気になるわけで。

だって、栄養に気を使って好きなモノを食べないとか、時間を作って運動するとか、正しい知識を調べるとか、面倒だもの。何らかの理由で意識が高くないとやれないよ。

でも、「こういう病気が増えているからこういうサービスをしたらいいんじゃないか」っていう素直なサービスが多いんだな。「人は健康になりたいんだから、正しいことを伝えたら行動が変わるはず」という前提に期待しているサービス。

たぶん、そんな期待は想定通りには届かないと思ったほうがいい。いや、うまくいっているサービスもあるんだろうけれど、何となくそこんところの工夫が足りないサービスが多いように見えるのだ。

じゃあどうするか、っていう話なんだけどね。。。

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で、2つ目は、健康法には「正しい答え」がないということ。まあ、正しい答えがないというのはあらゆる世界でそうなのかもしれないけれど、例えるなら、医療が法律なら健康法は宗教というイメージ。

医療の世界では、厚生労働省が「正しい」答えを用意している。と言うと言い過ぎかもしれないけれど、認可を得た薬だけが使えるとか、いろんな意味でできること、できないことの線引きが明確になっている。本当に正しいかはともかく、明確にガイドラインがある。

一方で健康法については誰かが「正しい」と言ってくれることが少ない。比較的コンセンサスになっているものであっても、反論する人も多い。しかも健康法って「自分がやってうまくいったものを盲信」する傾向にあるので、反論の強度が結構強かったりする。

宗教みたいと言った時に、仏教とキリスト教くらい離れている場合の難しさもあれば、元はひとつの宗教なのにその解釈の違いにより宗派ができて近親憎悪のような状態に陥った場合の難しさもある。

後者だと、同じマーケットだと思っていたのに実は細分化されていた、ということになる。しかも細分化だけならいいけど、実は憎しみ合っていて・・・みたいな。健康って、そんな世界だなぁと感じることが多い。

だから、ひとつのビジネスプランを定義した瞬間に、その対立概念というか、別のビジネスプランを自動的に定義してしまうことになってしまう。あるいは、意図していない、想定していないところで敵を作ってしまう。

特に医療の世界から見れば健康法はエビデンスの少ない世界という捉え方なので、ネガティブチェックのプロたちから見ると突っ込みどころ満載。色々と難しいのだ。

じゃあどうするか、っていう話なんだけどね。。。

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まあ色々と考えてはいるけれど、何をすれば成功するかはやってみないとわからないものの、この地雷を踏んだらアウトだなぁという点は少しずつ見えてきている。そんな地雷をうまく避けられるよう、取れるリスクと取れないリスクを見極めてチャレンジしていきたいと思う。


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