2012年11月19日月曜日

自分の話を聞いてもらうということ

最近、誰かに話を聞いてもらうことがこんなにグッと来ることなのか!とびっくりする経験をした。

人は「誰かに自分の話を聞いてもらいたい」「自分を理解して欲しい」という根源的な欲求がある。

だからといって、面と向かって「話を聞きます」と言われても、ではお願いしますとはなかなかならない。

常に悩みがちだったりする人は違うのかもしれないが、少なくとも僕は、精神的にすごく落ち込むこともあまりないし、自分の弱い部分を晒すのこと自体そんなに好きではない。

そんな僕にとって、自分のことを話して嬉しくなるシチュエーションとは、講演だったりする。
相談というよりは、自己肯定のためにやっているという感じなのかもしれない。

最近は色々なところで講演をする機会があるのだが、その目的は色々あるとしても、講演という形を通して僕の人生を聞いてもらうことそのものに喜びを感じている要素は否定出来ないのだ。

つまり、相談にのるよとか話を聞くよと言われても困るのだが、何らかの「言い訳」があれば、喜んで話してしまったりするということ。

そんな僕が、ココナラのサービスを通じてグッと来るくらい「話を聞いてもらった」話を紹介したい。




「あなたを主役に短編小説を書かせていただきます」という驚きのサービス


きっかけはこのブログだった。
ココナラで自分を主役にした短篇小説を書いてもらった(全文公開)

僕はココナラをユーザーとしてもよく使うが、”さくら”的な買い方はしないで、本当に欲しいと思った時だけ買っている。

そして、このブログを通じて「自分を主役にした小説を書いてくれる」というサービスを見てとても面白そうだと感じ、衝動的に買ってしまった。

ブログを書いているのが友人だったこともあり、このブログで公開されている小説の「リアル」と「フィクション」が交差していく感じが読み手としてとても面白かったからだ。


サービスは以下URLから。
あなたを主役にした短篇小説を書かせていただきます。

サービスの紹介文にはこう書いてある。

いまは事務職をしているが、本当はチャレンジしてみたい仕事があった――。
もしもあんなささいなことで怒ったりしなかったら、あの人と結婚していたかもしれない――。
一度でいいからサルのぬいぐるみをきて、外を歩いてみたい――。
亡くなったあいつに、もう一度あいたい――。

現代は世知辛くなりました。あなたが友人に「もしも、もう一度あのころに戻れるなら」なんて言ってごらんなさい。「もしも……なんて、現実から逃げるなよ!」「感傷にひたっても、道はみえてこない!」なんて説教されるか、「はいはい」と聞き流されてしまうのがオチです。

その「もしも……だったら」という話を、私に教えてください。私が、あなたのかわりに、「もしもの世界」を妄想しつづけます。そして、それを2000字以内の短篇小説という形にして、お届けします。その作品は「世の中に非公開」でも構いませんし、許可を頂けるなら、公開させていただきます。

ああ、こういうサービスで夢を叶えたい人ってたくさんいるだろうなぁとワクワクした。

でも言い換えると、僕自身、「こういう人生を歩みたかった」みたいな感覚はすごく少ないので、特にどういう小説にしたいというお題はまったく浮かばなかった。

で、完全にお任せした。

出品者の方から頂いた注文は、「過去のブログとtwitterを読ませてください」だけだった。

そこからが、驚きの展開だった。



浮かび上がる自分のストーリー


出品者の方から許可をもらい、頂いたコメントの一部を公開させていただく。

さて章行さん。
はじめに申し上げます。

あなたは、男のなかの男です!
まだブログを拝読したばかりなのですが、日本の三十代男性のみんなが、章行さんみたいな生き方をしたかった、したい、と思っているはずです。

頭がいい人はあちこちにいます。
けれども、勉強の目的が“学歴の取得”ではなく“自分の判断基準がブレないように磨く”である人は珍しい。

なにかに戦いまくっている人もいっぱいいます。
けれど章行さんの発想は、まず大義名分を疑い、ときには常識や権力にノーといえる勇気がある。
なぜなら、青春時代に染みこんだロック魂があるからです。

自分の夢に猛進な人も多いです。
けれども、“みんなのために、いっちょ、やってみるか!”というリーダーは少ない気がします。章行さんの考えるビジネスは、金持ちをより金持ちにするためのものではないように思えます。

そういう理想像のみならず、死刑をコストから考えたり、意味不明だった東京都の都銀行への税金投入による、中小企業の甘やかしは見逃さない。ジャーナリストの嗅覚と資本主義戦士をあわせもっておられる。

なんといいますか、存在が“世界的日本人な感じがしました。



こんばんは。
昨日は、激務のなかにもかかわらず返信いただきありがとうございます。
ちょうど私は、MBA挑戦からブラストビート発進の軌跡である旧ブログを拝読しておりまして、さきほど読み終えました。
やはり、章行さんは男のなかの男だ! という思いを強くもちましたが、この私の反応は章行さんにとっては、もはや日常的なもの、ということもブログを通じてわかりました。

【Oxfordに行かなくても、どこかのタイミングで起業はしていたのかなと思います。】

章行さんにとってのOxfordの目的は、究極の判断状況におかれたときの決断能力の実践であられたと思いますし、実際に凄腕の金融マンとして数々の現場をのりこえてきた章行さんには、Oxford経験がなくても、独自に決断体験を築かれただろうと思いました。起業なさっていても、どのみち成功なさる方だとお見受けします。

しかし、「起業の社会的責任は利益を増やすことである」というフリードマンの<呪縛>にたいし、Oxfordのクラスで「PEにCSRを求めることはできないか」と質問なさったときの章行さんの鋭い質問シーン、その質問そのものが、章行さんを「2枚目の名刺」や「ブラストビート」との出会いに導いていったような気がします。

【80歳でも現役で働きたいという思いがあり、そのためには人に使われるのではなく自分から価値を生み出せる人材でいたい】

……退職者が会社をうらむような社会ではなく、マッキンゼー理論を日本においても実践する……というお話がブログにありました。この考えは「ココナラ」の原点でもありますね!

章行さんの存在そのものが、小説なので、読みふけってしまいます。いろんなイメージが次から次へと絵画的にうかんでくるのです。

私は、章行さんを「ココナラ」の代表と当初認識しましたが、いまは、「ココナラ」が誕生するまえに、ブラストビートがあり、そのブラストビートはOxfordでうまれ、Oxfordの天才チームたちのなかでもリーダーシップをとったその背景が、PE時代の激務にあり、そのガッツのすべてを支えることになったラグビー時代……いろいろと繋がってくると、天才は、一夜にして天才でもないということが、理解できました。

個人的に好きなシーンはたくさんありまして、ベルギーのビールを飲み尽す勢いで、ずっとビールを飲んでいるシーン。それはミコノスのヌーディストビーチや、ドイツでもつづくわけなんですが、ビール好きにおいて世界最高の快楽を経験なさっている。

南アフリカで一番美しい女性、そしてなおかつ知的な女性や、英国空軍パイロットやインド人とのチーム……という話はそのまま映画のようでありますし、ゴールド・メダリストたちとの「オックスフォード!」と拳をぶつけてのラグビーシーン…………。

好きなシーンがたくさんありまくります。

章行さんが主役の小説は、ビールを飲むシーン、どこかの部屋のソファで昔を回想しながら未来のための「覚悟」を決める、話になるかと思います。その覚悟とは、「昨日の自分より、ちょっとだけ強くなる」という「0から1」思想と、「21世紀のビジネスモデルはCSRに配慮しないかぎり、成功していかない」という考えを日本で「実行」していく男の覚悟――という話になりそうです。

小学生の作文程度の小説かもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします。



……今回、私の一週間は章行さん漬けでした。オックスフォードの思考というもの、社会起業精神というものを、読むだけで理解できるわけがないとは思います。けれど、どんなその分野の名著を読むよりも、章行さんのブログを読むほうが、“現場の声”をつかめる気がしました。500円を頂きましたが、毎回思うのは、自分がお金をもらって学ばせてもらえる場が、ココナラというサイトだということです。

この数週間、章行さんを筆頭に、これまでの人生で出会うことのない方々と間接的にお付き合いしていただいています。

 こういう点で、ココナラに出品するということが、そのまま「2枚目の名刺」の精神を背負うことにもなるのか、と思いました。

 小説に「南章行さん」を落としこめたかといわれると自信がありません。横浜のラジオを拝聴したときに感じた「超エレガント」でさわやかな声質、ブログでの明晰な文体とツイッターにおいてのROCKなことば。そして、存じ上げませんが、ラグビー部の肉体をお持ちな、南章行さんという人物は、知れば知るほど味わい深い方だという実感です。まさに私の小説よりはるかにスケールの大きいことを、今後つぎつぎにやりとげなさるでしょう。

 今後も、陰ながら応援させてください。


かなり長文の引用になってしまったが、これでもまだ一部だ。

そしてその驚くべき内容。

まさか、たった数日の間に僕の書いた全てのブログエントリーとtwitterでのコメントを読み込み、僕が何を喜び、何を嫌い、何を実現しようとしているかを、かなり深いレベルで理解しようとしてくれていた。

頂いたコメントを通じて、普段あまり思い返すことのないシーンも色々と思い出させられた。

なんというか、たくさんのことを感じたのだが、自分のことをたくさん聞いてもらって、自分の生きてきたストーリーをそのまま受け止められた気がして、この上なく感動した。

同じようにこのサービスを購入されている方が下記のような評価コメントを残していたが、本当に僕もそう思う。

生まれた作品を読むことで、感じて入り、現状の自分を見つめる、または自分の将来を考えるなど、色々なことができると感じました。 たくさんの人が主人公になり、小説や物語として広まったり、または自分の大切な思い出を今まで(例えば写真や日記など)とは違う記録や記憶の手がかりなるかもしれません。例えば起業や新しいことをする人が初心を忘れないという意味で使ってみたりするのもありかなと感じました。



自分の話を聞いてもらうということ


上記の他に、評価コメントには、話を聞いてもらったこと自体に対する感想が多かった。

何よりもこの1週間のやり取りがとても楽しかったです。過去のブログを読み込んでくれ、コメントをくれるとともに、小説という形に仕上げてくれるこのプロセスがとても楽しかったです。

大満足です!小説もですが、やりとりが楽しかったです!

小説という成果物もさることながらそこに至るやりとりの過程が、アドレナリンが出ると言いますか脳みその刺激されたことのない部分を刺激されました。ビジネスっぽく言うと、高度なコーチングのように感じました。 「ストーリーを作る」、またその過程の「語る」というのは簡単なことのようで、人間にとってとても奥深いものなのだなと感じます。

これを読んで、いや、この体験を通じて、昨年読んだブログのエントリーを思い出した。


レジデント初期研修用資料 聞く仕事のこと


「聞くこと」には確実な需要が見込めるけれど、「お金を支払ってでも聞いてほしい」という人は、案外少ない。需要というものは、そこに何かの「いいわけ」を挟まないと、お金に変換するのが難しい。


「聞いてほしい」という需要にしても、そこにお金を支払ってもらうためには何かのいいわけが必要になる。いいわけに対価を支払って、その「ついで」に聞いてもらう、という形式を取らないと、「聞くこと」は満足につながらない。傾聴ボランティアみたいなやりかたは、その場ではもちろんそれが必要で、必要なものをそのまま提供する手段になっているのだけれど、やはり少し違うような気がする。聞いてもらいたい人は、同時にたぶん、聞く側からは「聞いてもらいたかったのですね」と思われたくない。



もともとココナラを始める前に、「相談」が持つ価値について考えている時に出会ったブログだ。

「相談」に対しては「ソリューション」を提供するのは当然のことだが、いかにして相談することに言い訳を作るか、そして単にソリューションを提供するだけではなく「この人が聞いてくれた」「こんなに親身になってくれた」みたいな、付加的な部分が大事なんだなと思っていた。

今回購入した「小説を書いてくれるサービス」は、「聞いてもらいたかったのですね」と思われるような自己愛の傷つきは全くなく、高度なレベルで「相談」が持つ付加的なところだけを切り取って提供してくれた感じだ。


ココナラというサービスはたくさんの出品者の方に支えられているサービスだ。

運営者としては、単にソリューションを機能的に提供するお手伝いだけではなく、こうした付加的なようで本質的な価値も購入者のみなさんに届けやすくするために、もっともっと考え抜かないとと感じた出来事だった。

(一緒に知識・スキルの販売サイト「ココナラ」を育ててくれるエンジニアやインターンを募集しています)

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